食と命の教室:秋の仕事、油

今年の食と命の教室も残りわずか。髙柳さんは稲刈りが昨日終わる予定だったが、来客やら色々あって、まだ2枚残っています。

ただ、終わりが見えてきたので「気が抜けちゃうよな」という感じで、「俺の小麦粉で焼いたパンだ」ということで、髙柳さんの自家製パンを食べながらののんびりスタート。

それでもしゃべり出したらノリノリになっていくのだから、さすがです

さて、「1日1回は土に触ろう」という方針なので、三浦大根の間引きをしました。

9月上旬に種を蒔いた三浦大根。種は昔は3~4粒蒔いていたそうですが、最近は2粒蒔きだそうです。

「みなさん、大根といえば青首と思っていますが、あれはここ30~40年のもので、私の子どもの頃は無かったんです。大根といえば三浦大根みたいなもの。ちょっとぶつけるとピっとヒビが入りやすいのですが、それが当たり前で普通に売られていたんです。それが見た目が悪いだとか、大きさが不揃いとかで今は青首になってしまいました。青首も美味しいけど、流通の都合で割れないよう硬くした大根。三浦の方が味がしみて断然美味しいんだよ」と髙柳さんも熱弁。

そんな三浦大根を1本に間引きします。

間引きというのは、多めに蒔いていた種が無事に発芽した後、1本残して他の苗は抜いてしまうこと。

間引きが初めての人は「なんだか可哀想ですね。売られているのはこうやって他を犠牲にして出来ているのですね」とのコメント。お~、なるほど、初めての人は、そういった風に思うんだな~と、こちらも勉強になりました。

どんな生物も生きていく上で過剰になると、生かすもの、生かさぬものに分けられる事態になります。

昔は子どもが生まれすぎた時、食わせていけないということで人間の間引きというのもあったわけですから、そういった事を知っている人はもはや数少ないわけですよね。大根にこういった思いを持つわけだから、今の人間は優しいですし、逆にいえば、そういったことも農業の現場はきちんと伝えていく必要もあるんだな~と。

 1仕事終えた後はお昼ご飯

髙柳さんは先月から「今度、お餅を食おう」と言っていて、新米によるお餅のお昼ご飯が登場

「お汁粉、お雑煮とあったら甘い方を先に食べるのだけど、みなさんは違うの?先に甘いのを食べて、それから甘く無いのを食べた方がさっぱりするでしょ」というのが髙柳家流。他にも農家出身の家はそういった順番が多いようですが、一般家庭は甘い物はスイーツ感覚なので、「最後に甘い物」という順番が多いのも、文化というか時代の違いでしょうか?

お昼ご飯後は、今年は田んぼやお米に関心がある方が多かったので、お米が刈り取り後どんな機械でどんな工程で袋詰めされるかお話してもらいました。

乾燥機、籾擦り機、石取り機、粒選別という行程を経て、後は玄米ならそのまま、白米なら精米です。

カメムシなどが食った後は黒くなるので、そういったものを弾く色彩選別器もありますが、「今年は必要無いな』ということで使っていないそうです。無農薬なのに選別機を使っていないとは、驚きです。

 さて、今日の本番、ヒマワリの唐箕がけやゴマの脱穀です。

 今年度の教室では6月の菜種の刈り取りも出来たし、先月はヒマワリの収穫も出来たし、過去1番、油作りの工程に関われた年度でした

 収穫が終えたヒマワリの種。水分量15%以下まで乾燥させます。

ヒマワリは9月頭ぐらいに登熟するのですが、秋に雨が降るとなかなか乾燥せず、そのうち立ち腐れしてしまうのでやっかいなのです。

私も過去2回やったことがありますが、1回目は秋の雨で腐ってしまい「もういいや」とあきらめました。それから数年して、髙柳さんの思いに「やっぱりやらなきゃな」と思い立ち、昨年再チャレンジをしたら、昨年は干ばつの夏だったので種は良く出来て乾燥したのです。ところが、乾燥中にネズミに食べられてしまった

ということで、「やっぱりもういいや」と思っていたのですが、今年の教室で、また髙柳さんの熱い話に感化され「もう1回、今度はネズミ対策もわかったのでやり直そう」と頑張ったのです。

なかなか調子良く、髙柳さんも「お~、なかなかの出来だな」と褒めらる生育だったのですが、8月下旬、「もう少し実が入ってから収穫しよう」と欲を出してしまった結果、長雨に突入。。。

立ち枯れから立ち腐れになり、1回目と同じように腐れ、カビが出てしまったのです

油を自給しようとしてもなかなか難しいのが、まず菜種だと収穫時期が梅雨に当たり、ヒマワリやゴマだと秋の長雨が最近は多いため、品質が悪くなりやすいのです。

そういうことで、できばえが悪い種になってしまいましたが、髙柳さんが「まあ、気持ちはわかるよ」という事で、丁寧に唐箕がけしてくれました

人間、うちひしがれるという程で無いにしろ、気落ちしている時に勇気づけられると感動しますね~。髙柳さん、有り難うございます

ということで、結果としては、900gほど種が出来ました。このぐらいあれば搾油率が2割とすれば180gほど、小瓶1つぐらいは分け前があるかも

また、ゴマもカリカリに乾燥していたので、脱穀作業。といっても「ゴマは逆さにするとサーっと種が落ちるんだよ。観ていて」という事で、髙柳さんが逆さにすると、滝のようにゴマが流れ落ちました。面白いですね~。

ゴマが大変なのはここから。大きめの目のふるいでゴミを取り除き、これでまた1乾燥させます。

こうなると、ゴマが良く見えます。ちなみにこれは金ゴマです。これをあとは唐箕にかけたり網の目が小さいふるいに何度もかけて、ひたすらゴマだけにしていくのですが、まあ、大変です。

昔はこうやってゴマを作っていたわけですから、売っているゴマが国産と海外産の値段が圧倒的に違い、外国産が99.9%というのも頷けます。それだけ逆に言えば、国産は貴重ですし、守っていく必要がありますよね。

 最後にお米の昔話。

「うちのばあさん、明治生まれの人が髙柳家に来て、一番気にしていたことが何かというと、『家族が生きて行ける分のお米が出来るかどうかが一番気にすることだった』と言っていたんだよな。」

これは私も聞いたことがあるのですが、戦後しばらくは大工さんは米2升が1日の働き分だったそうです。つまり、お金よりお米の価値がまだまだあった時代。

「冠婚葬祭もお米を持っていくと喜ばれたんだぞ」

また、ぶつぶつ交換という感じで、その集落でほとんどの事が完結出来ていたそうです。

「例えば油屋、糀屋、粉屋などが必ず集落にあって、菜種を油屋に100kg持っていくと、搾油率25%だとすると25kgの油が絞れるわけだが、20kgが油で返ってくる。で、油屋は残りの5kgの油を売って手間賃としていたわけ。糀屋も10kgのお米を持っていくと20kgの糀が出来るが10kgが返ってきて、残りの10kgを糀として売る。まだまだリヤカーや人力で動ける範囲のところまでしか仕事が出来なかったから、集落で大概の事は完結していたんだ」

 髙柳さん曰わく「食っていける食べ物が確保される=生活の安心」だった時代からすれば「今の人は強欲だよ。世界中から食糧をかきあつめて半分は捨ててるんだものな。それで太ってダイエットとか。単に食い過ぎなんだよ。食べ物を作ってくれた自然に対する感謝も無い。最近の日本は強欲人ばかりだな。そういう人はどうぞ好きなだけ食って病気になって下さい」と。相変わらず辛辣ですがまあその通りですよね

 そんな話と共に、お土産に今朝、パンの材料となった小麦粉をみんなに配ってくれました



 一通り終了し、お片付けをした帰路、先月と違い、帰りの車はライトを付けなくてはならないほど暗くなりました。日が落ちるのも早く、夕方は肌寒く秋深し。今年も暮れていくな~