1~2月は味噌作りなど細かい教室で(土)(日)が埋まる月。
成人の日に「自然薯掘り」をしましたが、この(土)(日)から6連発で週末は怒濤の教室運営ラッシュです
まず、土曜日はお子様連れのご家族向けの「田んぼと畑の耕育教室」で味噌作り。そして日曜日は大人向けの「食と命の教室」でこちらも味噌作りでした
土曜日のは今年1回目の「味噌作り教室」。
コロナ禍で参加を悩む方もいましたが、心配なら無理する必要無いし、あえて外に出たいならこちらはウエルカムですよ、という体制でお迎え。
初回は毎回大変で、10時開始ですが、8時から準備開始。
なんと、ガスが切れて大豆が煮え切れていない、というハプニングも起きたり、農家の根本さんの準備が間に合っていない事もあり、10時まで息つく暇もなく汗だくで準備
10時前からいつものご家族が登場し始めましたが、みんな「寒いですね~」と体はブルブル。
一方、私は汗だくで、対照的でした
今回はお昼頃に単独で来られた方のお迎えもあり、お昼ご飯を食べる時間は全く無い状態でした。
というのも、子供が大きくなった後でも、「体験」ではなく「美味しい味噌が仕込みたい」という需要がありまして、大人だけで味噌を仕込みに来られるんですね。
そういった「昔ご参加頂いた方」から色々お話を聞くのも楽しいですね
まあ、そんなこんなで、15時過ぎでようやくほっと一息。
今回はマスクをして過ごしたので、ただでさえ息切れする程なので、とっても苦しかったですが
翌日は大人向けの「食と命の教室」。
こちらも味噌作りでしたが、2020年度の最終回でした。
年末に高野山に行からたというご夫婦がお土産ということ持ってきたお酒が朝一から配られ、髙柳さんは気分上々
緊急事態宣言下ということもあり、3人がお休みしましたが、参加した方はノーマスクで、「さすがだな~」と世間とは違う雰囲気で、まあリラックスしていました
高柳さんも「最終回」ということで、昨夜、まとめて来たという資料を配付して、それに基づき、1時間半、熱く語っていました。
その資料の最後の方には、髙柳さんの師匠や先達からの言葉が書いてありましたので紹介すると。
・藤原正彦氏は、「野に咲くスミレを美しいと思う心が大事」という。
・無着成恭老師は、「誰にでも人には言えない悲しみがある」と式にくれた。
・半藤一利氏は、「人間が非人間的になれることが戦争の恐ろしさ」という。(歴史をたどる中で)
・高田好胤管長は、「感謝の心、こだわらない心、かたよらない心、とらわれない心」と説教し続けた。
・我が師、和田金次先生は「人間は自然がなければ生きてゆけない」と教えてくれた。
・無着成恭老師は、「誰にでも人には言えない悲しみがある」と式にくれた。
・半藤一利氏は、「人間が非人間的になれることが戦争の恐ろしさ」という。(歴史をたどる中で)
・高田好胤管長は、「感謝の心、こだわらない心、かたよらない心、とらわれない心」と説教し続けた。
・我が師、和田金次先生は「人間は自然がなければ生きてゆけない」と教えてくれた。
心に染みいる言葉ですよね~。
藤原氏は「国家の品格」の著者でもある数学者です。
数学者というは「自然に対する美意識」が無いと本物にはなれないのですね。
数学というのは「自然現象がシンプルな数式で表わせる」という事に「美」を感じられるもの。
そういった人が「数学者」になります。
そういう意味で、「日本ほど自然豊かな国は無い」ということで、「農村が廃れていくことで、本物の数学者はもう出てこないだろう」という方です。
無着成恭さんは、多古町でまだご存命の髙柳さんの師匠です。
「山びこ学校」「子供電話相談室」などで有名な教育者で、髙柳さんの「おかげさま農場」という名前も無着先生からの影響です。
半藤さんは「ノモンハン事件」や「日本の一番長い日(以前、映画にもなった8月15日の戦争終結の玉音放送を巡るドラマ)」の著者です。
高田管長は薬師寺の名物管長だった方で、復建のために大口のスポンサーを断り、1人1写経1000円でお金を集め、そのために全国行脚をした方です。
参加者の1人が「私のおばあちゃんが写経をしに行ったと聞いています」とのこと。私は知りませんが、多分、70歳以上の方ならみんな知っている方だと思います。
そして、和田先生というのは、髙柳さんが青年自体、「農民である前に1人の大人であれ」という教育を受けた、農村中堅青年養成所の所長だった方です。
戦後、満州から引き上げる時に、命をさらりとかけて集団を救った逸話、剣道7段で8段試験で審査員が満場一致で8段昇格としたのに「自分はまだ未熟」と自ら断った、というような方だそうです。
髙柳さんが夜飲み過ぎて、朝、押し入れに隠れていると、「髙柳くん、朝だよ、さあ、教室に行こう」と声をかけてくる。
髙柳さんも「叱られるんじゃなくて、ああいう感じで来られると参ったな、となって出ざるを得ないだよな」という感じだったそうです。
養成所の隣にあった「ビワの試験場」で、10年20年かけて品種改良しているものを、仲間が食べちゃってクレームが入った翌日の朝、朝食にビワが並んでいたそうです。
ビワを盗んだ生徒を探すのではなく、自腹でビワを買ってきて「食べたいだけ食べなさい。ただ人に迷惑をかけちゃいけないよ」といった朝礼をしただけ。
後日談で、犯人だった仲間が「あれには参っちゃったよな」としきりに反省していたそうです。
教育者としてというより、人格者として「格が違う」ということで、青年達は養成されていった、そういった高柳さんの師匠です。
こんな師匠の言葉を71歳になった髙柳さんが連ねて、この「食と命の教室」のみんなにも語る。
髙柳さんの中には師をはじめとした先達の言葉が心に刻まれているんですね。
尊敬できる先達がいること、それは人生に心路(すじ)をつけ生きる力を与えてくれる。
そんなことを教えて頂いている気がします。
私は髙柳さんに出会って初めて「師」が出来ました。
そんな髙柳さんにも「師」がいるわけです。
師匠というのは本当に有り難い存在です。
教えてというのは、言葉や情報ではなく、「人を通じて感じうるもの」だと思うからです。
そんな髙柳さんとご縁を持つことで、何かしら人生が変わる、とおもって、その「出会いの場」として開催してきた「食と命の教室」もこれにて2020年度終了です。
(土)(日)連続開催でヘロヘロですが、6連発のまずは2連発、無事に開催出来て良かったです