私にとっては今年の前半戦、最後のイベントの「食と命の教室」。
あいにくの雨でしたが、天気予報では曇天の中の最高位気温32℃だったので、雨が降ってそこまで気温が上がらずよかったです
午前中、みんなでぺちゃくちゃおしゃべりしながら、雨の合間を縫って田んぼの草取りでキャーキャー
普通は稲が穂を出て入れない時期ですが、遅く植えたところなのでまだ入っても大丈夫、ということで、草取りしました。
先月も田んぼをやりましたが、みなさん、溜め込んだ電磁波をアースして「気持ちよい~」と楽しんでいました
今月も草をとってがんばっていましたが、やっぱり田んぼは良いですね~。
大人も子どものように泥んこに月に1度はなって、溜め込んだ電磁波をアースするべきだと思います
田んぼの後は、いつものお昼。
お母さんの美味しいお昼ご飯を食べ、一休み。
そして、午後はミニトマトの収穫ということで、30分ほど、みんなでミニトマトを取りました
大玉トマトはハサミを使ってとるのですが、ミニトマトは茎を残すように指で上向きにクイっと持ち上げると取れる、ということを聞いて、みんな「へ~」っとなっていました。
そして、みんなでかごをもってたっぷり収穫。
「たまに食べて良いぞ」という高柳さんの言葉に、みなさん「もちろん、頂きま~す」
みんなで2月に種を蒔いたミニトマト。
各自、ご自宅のプランターで育てていますが、やはりプロの高柳さんの畑のものは木が太く、背丈も高く、実の玉の大きさも全然違うのでびっくりしていました
ミニトマトの収穫後、みんなでシェアしましたが、みなさん遠慮無く袋に満帆に入れて、高柳さんも「みなさんの欲の皮がどのぐらいかわかるね(笑)」と言ってみんなで笑っていました
そしてミニトマトが終わったら、今日の締めで、お部屋でお話タイム。
高柳さんが「スイカを買ってあるから持ってくるぞ」と言って、大玉スイカをもってきて、1玉をみんなでぱくぱく食べました。
10人で食べると食べれちゃうものですね
適度な運動とお腹いっぱいで、みんなでほのぼの&幸せな時間
そして、1人ずつ今日のこと、あるいは最近のことをお話ししてもらいました。
毎年、この教室に来る方は食べ物の問題や環境問題など、「普段の生活では話せないこと」をここでは楽しく真面目に話せることが嬉しいと言います。
今年も同様の事をおっしゃる方が多く、また、「ここに来る人はみんな良い人ばかり」、とも言います。ここに来るとみんな自分の仮面をとって素の良い部分が表せるのでしょう
そして特に今年はコロナ問題が大変ですが、今のメディアの報道の雰囲気の中で、なかなか言えない本音をここでは話せるのも良いようです。
コロナに関する政府の対応、メディアの放映内容などが偏っていることについて、それぞれ思うことがあるのですが、大勢と違った意見を公にするのはなかなか難しいのが今の日本です。
これは農薬を使っている農業が本来では無い、という事を言うと、未だに「へ~、なんかこだわっているんだね~」みたいに未だにちょっと変な人に見られてしまうことにつながりますよね。
しかし、この教室では高柳さんという大黒柱が居る中では、みんなちゃんと言いたい事を言える、その安心感が良いのでしょうね。
また、高柳さんが「ポテトサラダ論争があったよね」と言いました。
私は知らなかったのですが、スーパーでポテトサラダを買った女性に、おじさんが「ポテトサラダぐらい作れよ」と言ったそうなのです。
そんなことを平気で言うおじさんも問題なのでしょうが、そんなことがニュースになってかけめぐる日本のメディアも問題だな~と思うのです。
高柳さんも、なんでそんな話をしたかというと、「中食産業というのは、効率が良いとか賢い主婦とか言って進めていますが、家から台所を取り上げてしまおう、それが自分たちの儲けにつながる、という発想なんです。電子レンジでチンもそうです」といった、話をしたかったから。
そして「料理を手抜きして楽できる、というかもしれませんが、一番の問題は、家の中での自分の務めを果たそうという考えがないことの方が問題だと思います」とも話していました。
私も「その通り」と思いました。
私の世代は男女平等というか、男女格差を感じない世代です。
新入社員の頃も、会社がそういった雰囲気でしたが、自分でペットボトルのお茶を買うのが当たり前で、女性の事務の方に入れてもらう、なんてことは全く文化としてありませんでした。
ところが、農村に来てからは「男がお茶なんて入れるもんじゃないんだよ」と70歳を超した女性の農家さんにしかられたのでびっくりしました。
これこそ「カルチャーギャップ」なのですが、これは「ジェネレーションギャップ」でもあると思います。
前も書いたことがありますが、その女性の農家さんは「男には男の仕事がある。女には女の仕事がある。力仕事は男にかなうわけない。また村の行事とかもある。それぞれやるべき事をやれば良いんだ」と言われて、本当に「そんな考えがあるのか」とびっくりしました。
でも、それが昔の日本の文化だったと思うのです。
今は男女平等という名のもと、家事も男女平等です。
仕事も男女平等といいますが、本当にそうかというと、結局は違うと思うのです。
男性には男性の、女性には女性の感性やチーム作りの違い、リーダーシップの発揮の仕方がやっぱり違うと思うのです。
そして、家のこともそう。
家事といわれるものを「これは私の仕事だ」といった自負をもっている人が、家に1人いるかいないか、というのは家が安定するかしないか、大きな差になるものなんだ、と農家さん達と一緒に過ごしてきて思うようになりました。
今年、天に還られた東城先生も「台所は家庭の薬局」「家族の健康を思って心を込めて作るお母さん家庭のお天道様」という言葉を残しています。
これは、今の人からすれば「女性を差別して家に閉じ込める昔の発想じゃないか」と毛嫌いされるかもしれません。
しかし、農村の農家さん達と交流を続けるにつけ「あぁ~、それぞれがそれぞれの務めを認識して、自負を持って家の仕事を役割分担出来ていた昔の家庭は、それはそれで素晴らしいな」と思ったのです。
農家というのは農業を家族でやりますが、合間をぬって食事・洗濯などをしているお母さん方には、男は頭が結局は上がらないのです。
そしていつもはお父さんに従っているお母さんも、いざとなったらお母さんの方が強いのです。
高柳さんからすれば、中食を買ってきて電子レンジでチンする人は「家族にきちんとした食事を作る、という務めを果たしていない人だ」となるわけですが、高柳さんの奥さんは「嫁に来るとき、何があっても戻らない、という覚悟を決めてきた」と言っていました。
調理師免許も持っていて、栄養バランスも考えて、かつレシピなどなく、買い出しもせず、あくまで今日手に入る野菜で何を作るか、というのを考えて、「男子厨房に入らず」といって、全く台所に入らない高柳さんに対して、言うときは意見を言いつつ、ご飯については毎回、「これは私の務め」という自負をもって作ってこられた。
それぞれの仕事に「自負」を持っている、そんなお父さん、お母さんは私は「立派」だと思います。
今は、文句を言いながら仕事をしている大人が多いと思います。
そんな下で育った子どもは、家事だろうが会社の仕事だろうが、「仕事」に対して「責任」とか「務め」という感覚を持たないで育っちゃうんでしょうね。
話が思いっきり脱線してしまいましたが、いつでも自論を展開し、世の中に迎合せず、自分の中で「これが正しいはず」ということを言動一致で体現してきた高柳さん。
そんな高柳さんがと居合わせることが出来ると、みんな自分の本音を出せるので、幸せな気分になれるのでしょうね