子供連れご家族向けの「田んぼと畑の耕育教室」を先々週末、先週末と4回開催しましたが、今月5回目の教室は大人向けの「食と命の教室」。
いや~、今回は満員御礼で、かつ、みなさん楽しそうだった
2月から始まるこの教室なのですが、今年は4月がコロナで仕方なくお休み。
5月もどうしようか悩みましたが、「これる人だけ来たら良い、やろう」という高柳さんのお声がけのもと開催しましたが、近隣の方だけが集まることとなったので、やはり少人数で、数年ぶりに5名という少人数で開催でした。
それはそれでとっても楽しかったのですが、今回は「自粛明け」ということで、みなさん「参加します」と、もう我慢していた分を発散するようにほぼマックスの14名という参加人数でした。
東京からいつもは電車なのをレンタカーでお越しになる方もいて、まだ気にして下さる方もいましたが、骨折をしてある行けるようになったけど「みなさんに迷惑がかかるかも」と躊躇していた方が、「やっぱり参加したい」とご参加いただけたり。
みなさん、いろいろな事を溜め込んでいて、それを「教室ではき出したい」という欲求があったのでしょうね
ということで、まずは高柳さんのお話。
高柳さんのお話はもう、最近は「コロナ気にせず論」に完全になっています
高柳さんに会った事が無い人から見れば「何を不謹慎な」と思うでしょうが、農村で50年以上の農家人生を行い、地球環境や食と命の関係を訴え続けてきた在野の哲人である高柳さんから言えばこうなります。
「生物が誕生してからウイルスはあって、人類はその後に生まれた。つまり、ウイルスは先輩であって、後から生まれた私たちはそもそも共存を前提にしているんですね。
そして新しいウイルスが来ても抗体が出来て免疫をもって永らえてきた。それが出来なかった種は淘汰されてきた。
だから遺伝子レベルでは私たちにはそういったウイルスに対応出来る体になっているはず。
だから、一応、予防はするにしろ、それで駄目になってしまったら、それはそれまでの食生活や健康や養生が出来ていなかったという生き方の積み上げの結果でもあるから、もう諦めるしかないでしょ、と私は思っている。ちょっと言いすぎかな?でも私はもう半分そう思って生きています。
命が大事というけど、じゃあ、熱が出たら診てもらいたいと思うのに、検査もしてくれないなんておかしいでしょ?何のための国なんだよってね。そして、それよりコロナ以上に仕事を無くしたりお金が無かったりで死んでいる人が多いという事の方が問題じゃないの?」
実際、おかげさま農場の70歳以上の大御所達はみんなマスクはしていません。
まあ、若手の私世代も当初はマスクをしていましたが、もうこう暑いとマスクをしながら農作業などは出来ないのです。
本当に熱中症になってしまう
そもそも、都会と違ってコンビニなど行くぐらいが人と接触する機会であって、あとは基本的には虫や獣の方が多い世界ですから、マスクをする必要が無いですしね。
さらに大御所達はもう70歳以上で、「何かあったらもう諦めるよ」というのは本音なのかもしれません。
農村では昔ながらの日本人の考えがまだ残っています。
たとえば、犬・猫は「畜生」という考え方で、「最近の都会の人は、座敷犬だからな」と言います。
昔と同じ考えで、犬は「ペット」ではなく「番犬」という役割で、その犬を家の中=座敷に上げるという感覚が無いのです。
また、昔は多く子供が生まれた場合は、貧乏だと育てていけないので「間引き」が行われていました。
「弱い物は淘汰されてもそれが生命の本質だ」という、現代で言えば惨い考えですが、昔の時代では当然だった考えがまだ残っています。
そして、70歳ぐらいになると、2~3ヶ月に1回は葬式があり、「そろそろお前も俺もお陀仏だな(笑)」といった。生死の話は日常会話に普通に出てきます。
そういった大御所達からみると「コロナ、コロナと騒いでいるけど、自然を見てみろ。きちんと役割を全うして後は死んでいくのが生き物だ」というのでしょうね。
さて、こんな前置きの後、「ということで、健康な体で生きていくためにも日本人はお米を食べないと生きていけません。ということで、田んぼに行って草を取りましょう」とみんなで田んぼへ
みんな素足で入って「きゃ~、何これ、温かい」とか色々騒いでいましたが、みなさん超楽しそう
先日の子連れ向けの教室の「田んぼと畑の耕育教室」の時もそうでしたが、大人にとっても田んぼの威力は絶大だな~と思いました
田んぼが初めての方がほとんどだったということもあり、黙々と集中する事が楽しい人、素足のグニュ&ドロ&グチャという感覚が楽しい人、ちょっと気持ち悪がっている人など、様々でしたが、みなさん、巣ごもりで電磁波も相当たまっていたんでしょうね。体が喜んでいる感じでした
「久々に思いっきり体を動かしたので、お腹すいちゃいました」という方も多く、お食事も久々にみなさんほぼ完食
初物のナス甘辛味噌炒めを中心に、どれも抜群に美味しかった
お昼後はお買い物や高柳さんのギターを楽しみ、午後からはゴマ畑の草取り。
みなさん「こんな小さいのがゴマ?雑草との違いがわからないですね」と言いながら、頑張って草取りしてくれました。
午前中の田んぼは本当に楽しかったようで「午後もやりたい」と言う人が多かったのですが、私は「みなさん、予想以上に疲れているからまた今度来たときの方が良いですよ」と伝えていました。
案の定、この10分ぐらいの草取りで「腰が痛いです」とか「なんか疲れましたね」という方が出てきました。
そうなんです、そもそも田んぼは中腰で足が泥で取られて疲れるだけでなく、水面の反射で日焼けも自分が思っている以上にするので疲れがたまるんですね~。
さらに、日常的に外にででいるわけでも無く、久々に屋外に出てきた人ならなおさら思ったよりダメージを受けているんです。
これは「楽しくてついついやり過ぎちゃう」という素人に良く有りがちなパターンで、私もこれで体を壊したのでよーくわかるのです
ただ、「収穫物がある」となると、話は別。
「じゃあ、ジャガイモ掘るか」となって、収穫となると、心が躍るものでみんな「うわ~、こんなに出てくるんですね」とか「幼稚園ぶりにジャガイモ掘ります」とか「仕込んでいたようにごろごろ出てくるんですね」とキャッキャ喜んでいました
ジャガイモを分けた後、高柳さんの「伝統的日本建築の話」は、みなさん食い入って聞いていました。
「今の建築と私までの時代の家作りはそもそも思想が違うんです。
私が住んでいた家は、誰が建てたかわからない。ひいじいさんよりももっと前の、つまり江戸時代に建てられた家なんです。それが私の代で雨漏りとか始まって、建て直そう、となる。これを『番が来た』と言うんです。
そして建て直す家は少なくとも何代も先の者まで住む家を建てる。150~200年持つ家、何代も子孫が暮らせる家を作るんです。しかし、今の家は1代限りの使い捨てでしょ?10年保証とかいっているが、何をいっているんだ、と思うんです」
「うちの家の材料は全部、我が家で山から切ってきたものです。家を建てるとき、必ず木の苗を植えます。そうするとそれが100年先か150年先かわからないけど、また子孫が家を建て直す時にその苗が木材となる。そういった循環を考えて木を育て家の材料にするという流れがあった。
家の建て方も今の人はハウスメーカーに任せてしまって、家がどう作るかわからないでしょ?
昔は大工の棟梁と一緒に施主が建てるんです。図面も平面図で「こういった家を作ってくれ」で終わり。それを元に「何を用意すれば良いんだ?」と棟梁に聞くと必要な木材を教えてくれる。「よしわかった」となって、自分の山にいって必要な木材を切り出してくる。それを乾燥させて製材屋さんでひいてもらって、また乾燥させて、それから棟梁にお願いする。
そして棟梁は「次は電気屋を入れてくれ」「次は屋根だな」「次は壁だな」とタイミングに応じて必要な工事を教えてくれる。それを手配するのは全部施主。壁屋はあいつにしよう、電気屋は隣町のあいつだな、と全部施主が手配していくんです。そうすると家の作り方も勉強になるし、全部わかる。こういったこと、もう俺の代で終わりだろうな」
などなど。
その他、「最後の棟梁」と呼ばれた西岡棟梁の話を事例に、何百年持つように作られた日本の建築様式と違い、今の家屋は西洋のものまねでコンクリートの基礎をうってしまい、床材が腐るような家になってしまっている、など、その地域にあった経験則で培われてきた伝統技法を無視した家作りの問題も教えてくれました。
何度も聞いている話だけど、みなさんの食いつきもよいせいか、話は弾み、私も「やっぱり高柳さんの話は面白いな~、勉強になるな~」と思いました
夕方、みなさん、適度な疲労感が心地良いようで、笑顔でお土産をもって帰って行きました。
進みすぎが物質社会、経済優先社会の対極にある、この農村の行き方を伝えたく、こういった教室をやってきましたが、コロナにより、ますます自然に触れる場を求める人が増えていくんだろうなとも思いました。
そしてその価値もどんどん右肩上がり、と感じます。
この道を選んで、作ってきましたが、時代がますます欲している、と改めて感じる1日でした