新緑のまぶしさ、空の深さ

「食と命の教室」を開催して今年で8年目。

 

しかし、今月はコロナの自粛で中止となりました。

 

そこで、我が師匠で教室長でもある高柳さんからメッセージを託されたので、の参加者へのその言葉を発信しました。

その中で「コロナ対策で世界中の空がきれいになっています。空気が清浄化され遙か彼方を見通せるようになりました」という言葉がありました。

ニュースなどでコロナの問題が多々流れる中で、農村を仕事基盤としている私は、農村に向かう車の中で、「春の光が美しいな~、そう思えることは有難いな~」と毎日思っているのですが、「空がきれいになった」というのには気づきませんでした。

また、こういった事態に「空気がきれいになった」ということや「人間の所業が空を汚していたということです」というメッセージを発信できる高柳さんは、やっぱりすごいな~と思ったのです。

なかなかそういった言葉をこういった事態では思いつかないし、言葉には表せない。

ただ、農家さんは、結局は「例年通り」なのです。

最前線で命をかけて戦っている方々には不謹慎かもしれないのですが、農家さんは「いつも通り」なのです。

今、田植えをしないと秋には実りが得られません。

今、夏野菜を植えないと夏に収穫が出来ません。

農家は自然に合わせてする仕事なのです。

そして、閑散としていて未来が見通せないと言われる「過疎」の地帯が、逆に今は人が集まらない分、コロナの影響をそれほど受けずに仕事が出来るのです。

もちろん、スーパーやコンビニなど人が集まるところは、都市部と変わりませんが、畑や田んぼは1人、あるいは家族でやるもので、2mどころか、周囲2㎞に人がいない、なんていうのは当たり前なのです。

そして仕事は「家から田畑へ軽トラックで」が当たり前なので、人に会うのは意図してそういった場所にいかないと、なかなか会わないのです。

だから、都市部の方に比べると「いつも通りの仕事」をしています。

だから、「空がきれいになっている。それは今までの人間の所業が環境を汚してきた現れでしょう」といった発言が出来る心境なのでしょう。

ただ、昨年の台風では都市部の方が頑丈で、農村は大打撃を受けました。

特に我が千葉県は台風15号で、家屋の瓦屋根は吹っ飛び、農作物は打撃を受け、停電も長引き、何よりビニールハウスは100億円を超える大損害となりました。

それでも農家は、ハウスの仕事は出来ないにしろ、それ以外は「いつも通り」やってきました。

どんなことが起きようと「いつも通り、季節に合わせて、自然に合わせて仕事をして暮らしていく」のが農家なのです。

というより、それが本来の人の暮らしだったのだと思います。

そんなことを思ったのですが、実際、参加者の方から「品川の空も超きれいで気持ち良い空です!」という返信も来ました。

本当にきれいなのでしょうね。

また、昨日たまたま見た「帝一の國」という映画の中で、「井の中の蛙 大海を知らず」の続きとして「されど空の深さを知る」という言葉があると知って、何だかグッときました。

閉じ込められた小さな世界にいようと、その深さを知っている、というポジティブワード、心に刺さりました。

人間界は大変なことになっていますが、自然界は例年通りで、日の出はどんどん早くなり今日は4時台でした。

日中の光も眩しいです。

新緑も映えています。

そして空はいつも以上に青々と澄んで気持ちいいです。

仕事が無くなったり感染したり大変な状態になっている人の事を思えば、家族が元気に暮らせているだけで有難い日々です。

経営者であったり、飲食店だったり、医療従事者だったり、コロナ対策にすべてをかけている方々の事を思えば、本当に暮らせているだけで有難いな~と思います。

政府の方も、役場の方も大変でしょう。

物流を担っている方も大変でしょう。

運悪く、感染して亡くなっている方もいる中で、生活出来ていて、春の気持ち良さ、新緑のまぶしさ、空の深さに感動できる幸せを味わえる時間を過ごせるだけで、なんて有難いんだろう、と思います